カテゴリ:嘉義丸( 33 )

父の命日

d0018704_9331316.jpg今日、5月26日は父の命日。

63年前の今日、5月26日午前10時30分頃、父の乗っていた嘉義丸(当時大阪商船)は奄美大島、名瀬、北東50kの沖合いで米潜水艦Sauryによって魚雷を受け沈没。
父は船とともに沈みました。

今朝散歩の途中南の空に向かって合掌、冥福を祈りました。(福岡は海は北に向いていて南にはないのです)
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by bun111ji | 2006-05-26 09:34 | 嘉義丸 | Comments(0)

『ど~んと鹿児島』

鹿児島で人気のMBC南日本放送の番組『ど~んと鹿児島』4月6日放送のDVDとVHSが放送局から届きました。

今回は一時間番組。
乗客の生存者のかたの話に加え、乗組員たった一人の生存者の方を能登まで行って取材されていて新たに父の船長としての最期を直接聞くことが出来ました。このような悲しい出来事が二度と起こらないよう願うばかりです。

スタッフの皆さん本当にご苦労様でした。そして有難うございました。
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by bun111ji | 2006-04-16 21:00 | 嘉義丸 | Comments(0)

ムーブ2006

ムーブ2006 「よみがえる鎮魂歌~嘉義丸のうた~」

今朝早い時間に放送されました。(MBC南日本放送) 詳細は略
怪我したみっともない私の姿が流されなくてほっとしています。
その代わり神戸で兄と弟が父の手紙など私の変わりに説明していたようです。

スタッフの皆様ご苦労様でした。
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by bun111ji | 2006-01-30 19:37 | 嘉義丸 | Comments(0)

取材

MBC南日本放送の取材がやってきました。戦時中、米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈した「嘉義丸」に関する取材。今回は当方にある父の日記、手紙。新聞記事などに関する取材です。沢山の機材を抱えての来訪。短時間の取材でしたが終わるとその足で神戸の兄、弟のところへ。 
ご苦労様です。

d0018704_944040.jpg今回うっかり写真撮るのを忘れてしまいました。残念 ・゜゜・(/。\)・゜゜・.
この写真は以前鹿児島で撮ったもの。今回もこのお三方です。 後姿でごめんなさい _(._.)_
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by bun111ji | 2006-01-14 21:10 | 嘉義丸 | Comments(0)

お墓参り

d0018704_21344415.jpgお墓参りに、南日本放送(MBC)より同行を求められたので来ないかとの誘いを受け、久しくお墓参りもしていないので私一人日帰りで帰鹿しました。昔住んでいた所も見たい、とのことで荒田で待っていました。隣のSさん宅も処分して駐車場になっていてすっかり様変わり、兄夫妻は私が待っている前を気づかずMBCの車で素通りしていきました。住んでいたところもお墓もちょっと見ない間にものすごい速さで変わっていくのにただただ驚くばかりです。

お墓で新しいお花を供え、お線香を焚いてお参り。墓前で亡き両親に朝崎郁恵さんの CD 「おぼくり」の中の 嘉義丸のうた・故郷 を聞いてもらい、又フジTVで放送された番組 「ひとつの歌が伝えた戦争・真実と悲劇」 も聞いてもらいました。
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by bun111ji | 2005-10-09 23:54 | 嘉義丸 | Comments(0)

歌集『潮騒』より

沈みゆく船橋に立ちて手を振れる○船長の決別の微笑    ○は名前

潜水夫海藻の林に眠りたる巨体(嘉義丸)探るもなす術もなく

冥福とふ諦観の辞を知りてより合掌しつつ屍の上を航く 

沖○松○先生の歌集『潮騒』より
先生は私たち兄弟に中学時代国語を教えてくださいました。その後小学校の校長、鹿児島市教育委員会指導主事、全国創造国語研究会顧問など歴任されました。
お姉さまが嘉義丸沈没の時、従軍看護婦として僚船から目撃されたとのこと。
『潮騒』の中に「船長の殉職」というタイトルで6首読んでおられます。その中から3首です。
潜水夫・・・は、だいぶ前、新聞に船体が発見されたけど、どうにもならないという記事を読んだ記憶があります。その時の事を詠まれたのでは?と思います。
先生のことすっかり忘れていましたが今回のことをきっかけに弟からの一言で思い出し、本棚に先生の歌集を見つけました。
すっかりご無沙汰してしまいましたが先生如何されていますでしょうか?ご高齢になっておいでのはず、お元気でおられることをお祈りいたします。


ついでに兄の詠んだ歌を一首
たふれゐし花鉢おこしふりかへり手を振り征きて父は還らず   『歯とイボ』より
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by bun111ji | 2005-09-04 14:44 | 嘉義丸 | Comments(0)

嘉義丸以外の2隻も沈没

兄より父が船長として乗った船は嘉義丸以外の2隻も沈没したとの連絡を受けたので調べてみました。
私たち家族は昭和11年大阪より鹿児島へ転居、その年の8月に私は生まれました。当時父が乗っていたのが厦門丸、次の乗ったのが宮古丸、そして嘉義丸に乗っていました。

これらの船は3隻とも空爆、雷撃により沈没。詳細は次のとおりです。

嘉義丸
昭和18年6月26日  奄美大島沖で米軍の魚雷を受け船尾から垂直に8分で沈没。

宮古丸 
昭和19年8月5日   徳之島沖で雷撃、沈没、全員死亡。

厦門丸 
昭和20年5月25日  門司から釜山への向かう途中、対馬沖で空爆、沈没。
嘉義丸沈没時、同じ船団に加わっていました。

尚、19年8月22日に沈没した、学童疎開でご承知の対馬丸は嘉義丸が沈んだときの船団の中に加わっていました。

私が生まれて以来父が乗っていた船は全部撃沈されたということです。これらはごく最近、62年も経って知った情報です。いまだに知らないことが多いことに驚きます。
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by bun111ji | 2005-09-03 20:40 | 嘉義丸 | Comments(0)
今日はお盆の入り。兄夫婦が両親のお墓参りをしてくれました。
墓前で「嘉義丸のうた」聞かせてきたとのこと。父は誰にも最後を知らせる術もなく逝き、さぞ心残りだったことでしょう。。
父上様、62年経った今、思いがけず最後の様子聞きましたよ。安心して安らかに眠ってください。
母上様、もう少し長生きしていてくれたら自分で生存者の話、「嘉義丸のうた」を聞くことが出来たのに、それが出来なかったことが残念。今年は特別な気持でお盆を迎えました。
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by bun111ji | 2005-08-13 21:34 | 嘉義丸 | Comments(0)

TV出演

フジTV 《とくダネ》 に兄と弟出演
先日来話題になっている嘉義丸の最後について、生存者の新城すえさんと嘉義丸のうたを歌っておられる朝崎郁恵さんとの対面。
新城すえさんは父の最期を見たのは私です、船長室に入り鍵をかけるのをこの目で見た、鍵の音はいい音がしたと言っておられました。兄もよく船に行き父が鍵を閉めるのを、そのときの音を覚えているとのこと。62年経った今でも知らないこと(知らされていないこと)がまだ多いこと改めて痛感しました。
又、朝崎郁恵さんはお父様が生存者の話を聞き作られた嘉義丸のうた(十九の春の原曲。当時歌うことを禁止されたうた)を歌って下さいました。
ちょっと悲しかったけど亡き母にもこの番組見せてあげたかった、そう思いました。
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by bun111ji | 2005-08-11 20:24 | 嘉義丸 | Comments(1)

遺族の集い

昨日、6月4日朝日新聞夕刊の記事です。
戦没船員の遺族、両陛下を迎え集い
 終戦60周年記念「戦没殉職船員遺族の集い」が4日、
 天皇、皇后両陛下を向かえて東京都千代田区の海運ビルでかれました。
 戦時中、軍に徴用された民間の船で戦没した船員の遺族ら訳300人が出席した。
 遺族らは例年、神奈川県横須賀市の戦没船員の碑で追悼式を開いてきたが、
 都内での大規模な集いは初めて。

私たち兄弟も間違いなく戦没殉職船員の遺族です。でもこのような《会》があるのも《戦没船員の碑》があるのも全く知りませんでした。当時の「戦時海運管理令」が今でも続いているのでしょうか?こういうのを知らない遺族がこの世にまだ大勢いるのでは?母も知らずに逝きました。ちょっぴり複雑な思いをしております。
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by bun111ji | 2005-07-05 22:02 | 嘉義丸 | Comments(0)

バラの花束


by bun111ji