命日

62年前の今日(昭和18年5月26日)父は南西諸島沖で米軍の魚雷にやられ、船もろとも海の底深く沈められました。当時、大阪商船<嘉義丸>の船長。軍の物資や民間人を6隻の軍団を組んで航行中2隻が魚雷にやられたと聞いております。この時期になると新聞に嘉義丸のことが載るようです。今年は日経新聞に数少ない生存者やその遺族が「嘉義丸のうた」をつくり、東京、大阪などで「嘉義丸のうた」など歌うコンサートを開き今の子供たちに二度と戦争の悲劇に逢うことのないよう祈りをこめて歌い続けたい、との記事を東京の娘から連絡があったと弟。記事のコピーをFAXで知らせてきました。
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by bun111ji | 2005-05-26 21:42 | 嘉義丸 | Comments(0)