父の命日

人は生まれることもあれば亡くなることも当然あります。今日は父の命日。
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今年は父がなくなって64年。
64年前の今日海の底深く沈みました。未だに亡骸の上がらない父に会いたくて海を見に行きました。
福岡の海は北に向いているのですがず~っと続いたいるのだから南の海へもきっと届くことと思いながら手を合わせてきました。
黄砂がひどくかすんで遠くまでははっきり見えなかったのが残念でした。

今日「よみがえる鎮魂歌~嘉義丸のうた~」を再度見て父を偲んでいます。
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Commented by 谷 徳造 at 2007-08-13 16:07 x
前略
今回、嘉義丸について検索中にこちらにたどり着きました。わたしの母方の祖父、山村庄之助は嘉義丸に乗客として乗船中に遭難し、九死に一生を得て助かりました。母はまだ生きており、遭難状況を祖父より聞いております。魚雷命中と同時に船は傾き」、祖父が海に飛び込む直前に船橋を見るちと船長が「皆さん、どうかご無事で」と手を振った後に船室に入り閉じこもったということです。祖父と卯滝陸軍少尉は韓国の漁船に救われて那覇に到着、沖縄県庁にて報告し、遭難関係の書類提出を行ったということです。祖父は大阪府の府会議員で大阪府から国とは別に食糧確保の依頼を受けて沖縄に向かっていました。戦後、大阪府副知事、衆議院議員を勤めています。亡くなる直前に回顧録を書いており嘉義丸についても記述していると思われますが、回顧録の行方は不明です。
卯滝陸軍少尉については不明ですが、この名前は京都に多い名前です。沖縄県庁にあると思われる遭難報告書がどうなったかは判りません。ただ、祖父が大阪に戻ってから「嘉義丸遭難記」が新聞に載ったということです。どこの新聞かはわかりません。 草々
Commented by bun111ji at 2007-08-17 09:43
谷 徳蔵様
貴重はコメント有難うございます。
嘉義丸沈没の様子は私達遺族にとっても詳細は未だに分かっていません。ただ船団を組んでいたので僚船から望遠鏡で見えたのは万歳をして沈んだと言うことです。最近になって船長室に入ったいき鍵を閉めたのを見たと言う生存者の証言を得ました。この後は私の想像ですが手を振った後に船長室に入ったのでは?と思っていましたが、谷様のお祖父様のおっしゃったことで確信できる気がしております。
今になってやっと少しずつその時の様子がわかってきました。これも『嘉義丸のうた』のおかげだと思っています。
お祖父様の『回顧録』新聞掲載の『嘉義丸遭難記』残念ですね。是非見せていただきたかったです。
お母様もよく状況を覚えていらして後々へ伝えてくださっておられること、大事なことですし私達遺族にとってはこの上ない貴重な報告を頂いて感謝いたします。どうぞ宜しくお伝えください。
今年は猛暑が続いていますどうぞお体お大事にお過ごしください。
by bun111ji | 2007-05-26 20:43 | 嘉義丸 | Comments(2)